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カテゴリ:成功の旅の日記
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    [ 2007-03-22 05:21 ]
  • 東池袋
    [ 2007-03-19 21:59 ]
  • 吉原に江戸の面影はあるか・02
    [ 2007-03-16 16:39 ]
  • 叔母の通夜
    [ 2007-03-15 18:32 ]
  • Kodachrome(コダクローム)、買い足した
    [ 2007-03-14 20:52 ]
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  • 吉原に江戸の面影はあるか・01
    [ 2007-03-10 13:33 ]
  • アメリカによる東京市民大虐殺の日
    [ 2007-03-10 00:01 ]
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    [ 2007-03-06 20:49 ]
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    [ 2007-03-01 16:38 ]

2007年 03月 22日
心機一転
本ブログは終了しました。






by thaay_ruup | 2007-03-22 05:21 | 成功の旅の日記
2007年 03月 19日
東池袋
東池袋の再開発により閉店に追い込まれた老舗のラーメン屋「大勝軒」が連日話題となっている。

偶然通りかかったらモノ凄い行列。
ここはラーメンそのものと老舗の閉店という事件があるからこれだけの大行列があるのかもしれないけど、そもそもでラーメン屋に行列ができるというのは、東京ではあり得なかったことだ。
食いもん屋に並んで待つなんてことはしね〜よ。
いつの間にかラーメン屋や食いもん屋に長時間並んでも平気な連中が多くなった。

さて、東池袋。

巣鴨刑務所跡地にサンシャイン60が誕生して生まれ変わった。
工事中の高層ビルが公募で名付け親を探していたときのことを覚えている。

サンシャインでは影響を受けなかった地域も破壊の危機に立っている。




東京を再開発する連中の多くは東京の人間ではない。
執行者が東京の人間ではないから、東京には「故郷(ふるさと)」の想いが無いので、東京の再開発には手段を選ばず、したがって東京の路地も文化も容赦なく破壊していく。

サンシャイン60通り。
サンシャインができる前、この辺りがこれほどの大混雑になるとは地元民には想像もできなかった。





by thaay_ruup | 2007-03-19 21:59 | 成功の旅の日記
2007年 03月 16日
吉原に江戸の面影はあるか・02
前回のつづき。

江戸時代の吉原の全体図。
日本堤から曲がりくねった五十間通りを歩くと「大門(おおもん)」に着く。
現在「吉原大門」交差点は、日本堤と五十間通りの交差点であり、大門があった場所ではない。
この大門が吉原の唯一の出入り口であり、遊郭全体は「おはぐろどぶ」と呼ばれた遊女脱走防止用の堀が巡らされていた。

「江戸名所図絵」の新吉原。
日本堤から西方面を臨む。
曲がりくねった五十間通りを通って大門にたどり着く。

明治後期。
廓の全体構造は変わっていない。

地図で見る限り、2007年の現在も江戸吉原の面影は残っている。
しかし、住居表示は「吉原」ではなく「台東区千束4丁目」である(右地図の青色の箇所が千束4丁目、かつての新吉原遊郭である)。

大門は時代によって作り替えられた。

五社英雄監督「吉原炎上」で描かれた明治後期の大門。






さて、現在はどうなっているだろうか。

五十間通り。
江戸時代と同じように、2007年現在も道は曲がりくねっている。

ここが大門があったところだ。
大門は現在の交番の位置にあったとのことだ。
面影は全く無い。


仲之町と江戸町の交差点。

大門のあった現在の交番の手前の道はかつての「おはぐろどぶ」である。
急な坂は、この道が堀であったことの面影である。
どぶの石垣が残っていた。
現在の吉原でどぶの遺構が残っているのはここだけだそうだ。

街を歩いていても江戸の面影は全く無い。
2007年現在はソープランド街に過ぎない。
遊郭の名残とも言えるだろうが、粋な景色ではない。

しかし、それでも、吉原遊郭300年の歴史は、花園池跡や吉原神社、僅かに点在する古い建物にその面影を垣間見ることができた。

想像力を最大限に働かせればのことではあるが・・・

地名は「千束4丁目」となってしまったが、町会にはかつての町の名前が使われている(本記事の一番最初の図参照)。






by thaay_ruup | 2007-03-16 16:39 | 成功の旅の日記
2007年 03月 15日
叔母の通夜
叔母の通夜。
久しぶりに母方の親戚が揃う。

オレが生まれて初めて出席した結婚式は、この叔母の結婚式ではなかったそうだ。
オレが最初に参列した結婚式は、叔父の結婚式で明治記念館だったから渋谷ではないとのこと。
あの渋谷の記憶は誰の結婚式だったのだろう。

叔母が亡くなったという実感が薄く、通夜振る舞いの席で母の弟妹の数が合わず、一瞬「おや?」と思った。







by thaay_ruup | 2007-03-15 18:32 | 成功の旅の日記
2007年 03月 14日
Kodachrome(コダクローム)、買い足した
街中から消えかけているKodachrome(コダクローム)、KR。
荻窪カメラのさくらやにありました。

30本買い足しました。
これでホントの最後。





by thaay_ruup | 2007-03-14 20:52 | 成功の旅の日記
2007年 03月 12日
叔母が亡くなった
帰宅したら母から叔母が亡くなったとの話を聞いた。

オレがガキの頃、生まれて初めて出席した結婚式がこの叔母の結婚式だった。
結婚式は確か渋谷だったと思う。
退屈してグズっているオレを親戚の誰かが、渋谷のどこかのデパートの屋上に連れて行ってくれてアヤしてくれたのを覚えている。

あれは40年前か・・・

落ち込みながら食卓上の小さな水仙の花を接写した。







by thaay_ruup | 2007-03-12 21:02 | 成功の旅の日記
2007年 03月 10日
吉原に江戸の面影はあるか・01
先日書いたように、現在は日本一のソープランド街となった吉原に江戸の面影を探して歩きたくなり、東京大空襲の本日、Nikon D200をバッグに入れて出かけた。


吉原は当時の江戸っ子の粋な遊び場「遊里」だった。
江戸の観光名所でもあった。

1657年、遊郭・新吉原は浅草の北の湿地帯の田んぼに造られた。
「吉原」は日本橋近くから移転したため、この江戸の外れの遊郭は「新吉原」と呼ばれた。
この移転費用は幕府が負担し、現在の貨幣価値で約8億円だったそうだ。

吉原の入口「大門」(おおもん)は東北の位置にある。

江戸の北の外れに作られた遊郭だから、普通の感覚では入口は当然南にあると思うが、大門は東北に位置している。
大門が東北に位置しているのは、客は舟で隅田川(大川)から山谷堀(さんやぼり)に向かうことが前提となっているからである。

東京に詳しくない方のために、吉原の位置を今一度確認しよう。
これは江戸時代の地図。緑色は田圃である。
赤い線で示したように、客は柳橋あたりから舟に乗り、山谷堀で舟を降りて日本堤の土手を吉原に向かった。

隅田川から山谷堀へは今戸橋(いまどはし)をくぐって入った。
柳橋から山谷堀までの船賃は、屋根船で現在の貨幣価値に換算して約1万円。

幕末から明治の写真が残っている。
左の写真には、隅田川から山谷堀に入る景色と今戸橋が見える。
右の写真は、冬の山谷堀の風景である。


さあ、2007年、江戸の面影は残っているだろうか。

これが隅田川から山谷堀に入る跡である。
1972年に埋め立てられたとのこと。

今戸橋の跡。
埋め立てられているので、もはや橋ではない。

地図上は江戸の面影がうっすらと残っているが、現在は山谷堀は埋め立てられた公園となってる。

その昔、粋な江戸っ子たちが舟で移動した路はこんな景色になってしまった。

山谷堀跡の公園をひたすら歩く。
当時、舟は何処まで入れたのだろうか。

水路は埋め立てられているので9つの橋は、橋ではなく橋台の面影しか残していない。

地方橋(じかたはし)の向こうには、かつてここが山谷堀から出ていた水路であったことを表している景色があった。

地方橋を越えて日本堤(かつての土手)に出ると、「吉原大門」交差点に着いた。

しかし、大門はここにあったのではない。

つづく




by thaay_ruup | 2007-03-10 13:33 | 成功の旅の日記
2007年 03月 10日
アメリカによる東京市民大虐殺の日
62年前の未明、東京市民がアメリカ軍に虐殺された。

東京大空襲
アメリカは何の罪も無い8万人〜10万人もの 一般市民を計画的に大虐殺したのである。

これほどの大犯罪を犯しながら、今朝の産経新聞、「(従軍慰安婦に対し)シーファー米大使 河野談話周到を期待」だと!!

ありもしないでっち上げで我が国を威嚇し、自分たちが犯した大犯罪は棚上げする。
米国の常套手段である。

何故、この国は何も言えない国になったのだ!?
日本も対米国非難を国会で決議しろ。




by thaay_ruup | 2007-03-10 00:01 | 成功の旅の日記
2007年 03月 06日
スーパーフジフィックス発注できた
懸念のスーパーフジフィックス、ビックカメラ.comで発注できた。

烏賊の鱈子和え。



by thaay_ruup | 2007-03-06 20:49 | 成功の旅の日記
2007年 03月 01日
六本木4丁目
防衛庁跡地に建設された東京ミッドタウンが見える。

ここでも東京の古くからの景色が破壊されていく。


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by thaay_ruup | 2007-03-01 16:38 | 成功の旅の日記